砂漠の狐 Desert Fox ロンメルの肖像

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エルヴィン・ロンメルについて


エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel )、何と長い名前だろう。
ドイツの名将、現在でも各国での評価・人気が高い将帥である。
フランスの電撃戦でロンメルの率いる第7機甲師団は、幽霊師団と言われるほど神出鬼没の戦いぶりを示し、北アフリカにおいては「砂漠の狐」の異名をとった。
砂漠の戦闘でロンメルの率いる機甲部隊は、戦力では常に連合軍より劣勢であったが、連戦連勝を続けスエズの入り口、エルアラメンまで達した。
しかし補給路が伸び切り、あまりにも戦力差がつき、空軍力も劣勢の中でロンメルの攻勢も頓挫した。
北アフリカの闘いはドイツ側の敗北に終わるが、ロンメルの名声は敗将ではなく名将となった。
戦力、補給状況など不利な戦況でも名作戦で敵を翻弄し、知恵と勇気で難局を乗り切り続けた将軍として記憶される。
ヨーロッパに戻ったロンメルはフランスのノルマンディーの防衛司令官として任務につくが、ヒトラー暗殺未遂事件の嫌疑をかけられ、自殺を強要された。
一説にはあまりにも若い昇進が、軍上層部の嫉妬を買い、落とし入れられたとする説もある。
ロンメルの名は現在でも悲劇の名将として語り継がれ、砂漠の狐の異名とともに戦史に長く記憶されることだろう。
彼の息子のマンフレッドは、戦後シュツトガルトの市長になっている。

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デイトレーダー、エルヴィン・ロンメル!!


エーリッヒ・フォン・マンシュタイン、(Erich von Manstein)
エルヴィン・オイゲン・ヨハネス・ロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel)


マンシュタインとロンメル、第二次世界大戦時のドイツの名将たちである。
彼等の戦略と戦術を、株式投資の相場戦の世界にたとえると、どうなるかを考えてみた。


まずマンシュタインから見てみよう。
彼の戦略を最もよく現わした戦いに、第3次ハリコフ戦がある。
スターリングラード戦終了後、ソビエト軍はドイツ第6軍のみならず、ウクライナ方面の全ドイツ軍を壊滅させるべく前進を続けていた。
ソビエト軍はハリコフに接近していたが、スターリングラードからの距離は600キロ、補給路は延びきりつつあった。
マンシュタインはヒトラーのハリコフ死守命令を無視、ハリコフを放棄しさらに撤退。
株式の世界なら占領地に固執せず後退する戦略は、防御的損切りというところだろうか。
総統命令で、ハリコフに貼り付かされていた虎の子のSS機甲軍団は自由を取り戻した。
ソビエト軍はスターリングラードに続きハリコフも奪還したが、補給路は限界を越えていた。
激戦の中ドイツ軍前線各部隊から、ソビエト軍の動きが鈍くなってきたという報告がマンシュタインに入ってきた。
マンシュタインはこの報告、時期を待っていたのである。
株でいえば悪材料が出尽くしファンダメンタルは好転しつつあり、テクニカル的にも買いシグナルが出始めたというところか。
マンシュタインは機は熟したとばかりに、今まで温存しておいた機甲部隊を投入、補給路が延びきり、燃料・弾薬・食料全ての物資が枯渇していたソビエト軍に襲いかかったのである。
情勢は完全に逆転し、ソビエト軍はハリコフを放棄して敗退した。
マンシュタインの撤退は戦略的撤退であり、ソビエト軍に対し敗走と見せかけ、補給路が延びきるまで誘き寄せる巧妙な罠を仕掛けていたのである。
この戦いでマンシュタインは、東部戦線南方軍集団のドイツ軍を壊滅の危機から救っただけでなく、南部戦区の戦略的主導権をも手に入れたのである。
その後のクルスク戦の作戦計画においても、マンシュタインはソビエト軍に先に攻撃させ、補給路が延びきった時点で機甲戦力を投入する、いわゆる『後の先』を主張するが、ヒトラーは自身の『先の先』を採用してしまう。
結果は東部戦線のドイツ軍にとって取りかえしのつかない敗北となってしまう。


株式投資にこのマンシュタイン戦略を応用するとすればこうなる。
敵の補給路が延びきる、つまり売り方のエネルギーが出尽くしてしまうとき、株価が下げ切った状態になったときに、とっておきの機甲部隊(現金)を投入する。
下げきるまでは戦略的撤退、株式投資においては『機をてらう待ち』を続けることだろうか。
その為には部隊を投入しなくとも逐一、敵(株価やそれをとりまく状況)を正確に把握している必要がある。
ファンダメンタル重視で、株価が大きく調整した場面を狙う買い方がマンシュタイン流。


つぎにロンメルを見てみよう。
砂漠の狐と異名され、その意表をついた北アフリカでの戦いは戦史において様々な伝説を残した。
ロンメルがアフリカ軍団の指揮官としてトリポリに到着した1941年2月、現地に到着していたドイツ軍は第5軽機甲師団の先遣隊のみであった。
師団主力は3月末以降、後続部隊の第15機甲師団は5月以降到着という状況だった。
トリポリ付近のエルアゲイラまで前進していたイギリス軍は、ドイツ軍の攻勢は第15機甲師団が到着する5月以降と見て一息ついていた。
イギリス軍に前進意図が無いと判断したロンメルは、第5軽機甲師団主力の到着を待たずに先遣部隊のみで攻勢を開始した。
このあたりは少額の資金で相場の狭間を見つけて、ゲリラ的に投機するデイトレーダーのようだ。
意表をつかれたイギリス軍は混乱状態に陥り、後方のメルサブレガに敗走。
エルアゲイラを占領したロンメルはここで留まっていては、メルサブレガの防備が堅くなると判断し、メルサブレガへの攻撃を即座に決定、前進を続けた。
ロンメルの僅かな兵力は、メルサブレガを占領後、4月5日テンゲデル、6日メキリへと達した。
このときのドイツ軍の1日の平均前進速度は150キロという驚異的なスピードだった。
株式の世界なら、資金を次々と回転売買させ利益を重ねていく、スピード重視の投機的な短期投資といったところか。
ベンガジのイギリス軍は補給路を遮断される状態となり、急ぎトブルク方面へ撤退した。
この後、ロンメルの連戦連勝が続き、砂漠の狐伝説が作られていくことになる。


ロンメルの北アフリカの戦いは、軍事の戦略、戦術の壮大な実験ともいうべき戦いだった。
ロンメルの戦いは奇襲の連続であり、戦術の特徴を分類すれば下記のようになる。
1.攻撃のタイミングの絶妙さ
2.地形、気象を利用した奇襲
3.陽動作戦による奇襲
4.高射砲を対戦車砲に使用した兵器的奇襲
5.機動力を駆使し限られた兵力の2重使用


株式投資にロンメルの戦術を応用するとこうなる。
1.攻撃のタイミングの絶妙さ。
これはまさに株式投資において最も重要なことであり、タイミング次第でどのような相場でも利益を出せるという考えと同じ。
2.不利と思われる状況においても、局地的(地形気象を利用して)には勝てると踏めば積極的に攻撃する。
荒れた相場やファンダメンタルが悪い状況でも、空売りや先物、オプションなどを組み合わせ売り買いする、上級デイトレーダーを彷佛させる。
3.陽動作戦による奇襲。
これはやってはいけないことだが、見せ板による株価操作ということか。
4.兵器的奇襲。
デイトレードにおける高度なソフトウェアや、多数のPC、モニターなどのハードウェアを駆使して投機的なトレードを行うことと似ている。
5.機動力を駆使した兵力の2重使用。
少ない資金を短期間に多数回転し、運用効率を上げるというデイトレや短期投機と同じ発想。


2つのタイプの将軍を見てみたが、マンシュタインは大きく調整した場面を狙うファンダメンタル重視の中長期投資派、ロンメルは局地的戦闘の勝利の積み重ねによる、テクニカル重視のデイトレ・スイング派というところだろうか。


あなたはどちらのタイプだろうか。



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***北アフリカのドイツ軍
***北アフリカのドイツ空軍
***ロンメル元帥写真

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